わが国初の大型航洋油槽船隊

石油事業に進出していた淺野總一郎は原油を輸入して国内で精製したほうが経済的であると考え明治39年(1906)東西石油会社を設立し横濱を石油輸入の基地港とするため保土谷に精製工場を建設した.その後,東西石油会社は南北石油会社に合併され,南北石油会社は外国原油を輸入精製する目的でカリフォルニアのグラシオサ石油会社等3社との輸入石油輸送契約のために油槽船の建造を計画した.
南北石油会社と輸送契約を結んだ東洋汽船は欧米で建造に関する調査を行い油槽船の新造を計画したが結局3隻を英国で購入し2隻を三菱長崎造船所へ発注した.英国で購入された3隻は相洋丸,武洋丸,常洋丸と命名された.これらの油槽船はボイラを石油焚きとしていた.三菱長崎へ発注された2隻のうち1隻は原油輸入関税の引上げのため採算があわなくなり解約されている.
わが国の初期のタンカー事情 東洋汽船(株) 明治後期
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東洋汽船の油槽船隊.
1908 (明41) 相洋丸を購入
相洋丸 Soyo Maru (1906)

1908 (明41) 武洋丸を購入
武洋丸 Buyo Maru (1908)

1908 (明41) 常洋丸の購入を取消.明治40年(1907)に英国で相洋丸,武洋丸と共に購入したが輸送する原油の手配ができないためロウサ・ラッタ商会(不詳)に1年契約で運航委託した.しかし状況が好転しないため手付金を破棄して購入契約を破棄したと「六十四年の歩み」に記載されている.本船は東洋汽船の所属船ではないため所有船一覧表には掲載していない.[船]常洋丸
1910 (明43) 紀洋丸竣工
紀洋丸 Kiyo Maru (1910)

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