北米航路のコンテナ化 - 海運集約期
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政府は北米航路にコンテナ船を投入するにあたり,多額の財政資金を注ぎ込む関係から,邦船間の無用な競争を避けさせるため,行政指導により邦船各社にスペース・チャーター方式による協調配船を行うことを義務付け,さらに邦船間でプール協定を結ばせることとした.
シアトル・バンクーバー航路(PNW) 6社3グループ 昭45.5(1970)第1船ごうるでん あろう就航
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北太平洋航路は邦船6社が2社ずつ3グループにより各1隻の共有新造船を就航させ,3隻で6社スペース・チャーター方式により月間3航海とした. 寄港地は横浜/神戸/バンクーバー/シアトルを原則としてスタートしたが,寄港地から外されたことを理由に,ポートランド市港湾局が米国連邦海事委員会(FMC)の認可に意義を申し立てた結果,米国寄港を停止せざるを得なくなり,寄港地はカナダのバンクーバーのみとなった.この問題が最終決着したのは昭和46年(1971)2月であった.
1970-05 (昭45) ごうるでん あろう就航
ごうるでん あろう Golden Allow (1970)

1970-09 (昭45) 穂高丸就航
穂高丸 Hotaka Maru (1970) 1971.8.26 - City of Vancouver Archives

1970-10 (昭45) 米州丸就航
米州丸 Beishu Maru (1970) 1976.8.17 神戸港外 - K.Sato

加州航路(PSW) 2社グループ 昭43.9(1968)第1船箱根丸就航-平成・令和期
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米国マトソン社と提携して加州航路のコンテナサービスを開始した日本郵船は,わが国初のコンテナ船箱根丸を就航させるとともに,昭和海運と共有で箱根丸と同型の榛名丸を建造して2隻で月2航海のサービスを実施した.寄港地は神戸/名古屋/東京/ロサンゼルス/オークランド.昭和47年(1972)には比叡丸,翌48年(1973)には白山丸が就航し,4隻によるウィークリー・サービスを実現した.昭和63年(1988)には長期化する海運不況のため昭和海運は北米定期航路から撤退した.
1968-09-02 (昭43) 第1船箱根丸就航[港]神戸/名古屋/東京/ロサンゼルス/オークランド[航]1ヶ月2回[船]箱根丸,榛名丸
箱根丸 Hakone Maru (1968)

1973-06 (昭48) 比叡丸就航(日本郵船・昭和海運共有)[航]1ヶ月3回[船]比叡丸,榛名丸,箱根丸
榛名丸 Haruna Maru (1968)

1978-12 (昭53) 箱根丸の代替として比良丸(日本郵船・昭和海運共有)就航[船]比叡丸,白山丸,榛名丸,比良丸
比良丸 Hira Maru (1978) S.Kizu

加州航路(PSW) 4社グループ 昭43.10(1968)第1船あめりか丸就航-平成・令和期
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邦船4社グループ(大阪商船三井船舶,川崎汽船,ジャパンライン,山下新日本汽船)による加州航路へのコンテナ船の投入は,昭和43年(1968)10月19日,大阪商船三井船舶のあめりか丸を第1船として,川崎汽船のごうるでんげいとぶりっじに引き続き,山下新日本汽船が第3船加州丸を同年11月5日に就航させた.最終船としてジャパンラインのジャパン エースが11月9日に就航し,4社4隻によるウィークリー・サービス体制が確立した.
1968-10-19 (昭43) あめりか丸就航
あめりか丸 America Maru (1968)

1968-10 (昭43) ごうるでん げいと ぶりっじ就航
ごうるでん げいと ぶりっじ Golden Gate Bridge (1968)

1968-11-05 (昭43) 加州丸就航
加州丸 Kashu Maru (1968)

1968-11-09 (昭43) ジャパン エース就航
ジャパン エース Japan Ace (1968)

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