遠洋航路 - 明治前期
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遠洋航路

遠洋航路の試航 日本郵船会社 明18.9(1885)明23(1890)頃迄
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日本郵船は発足後6,7年間に近海,遠洋航路の試航として下記航路に配船した.
1885-09 (明18) 以降[港]・香港/サイゴン/バンコック
・シンガポール,ジャワ諸島/濠州諸港
・長崎/ニューカレドニア/濠州諸港
・口之津/香港[航]年6回[船]三池丸,廣島丸,山城丸,近江丸
近江丸 Omi Maru (1884) State Library Victoria

ハワイ方面

横濱布哇航路 日本郵船会社 明20(1887)開始-明治後期-大正期-昭和初期
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不定期航路.
[港]横濱/新湊/宇品/下關/布哇
官約ハワイ移民輸送 日本郵船会社 明22(1889)開始-明治後期-大正期-昭和初期
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明治14年(1881)にハワイのカラカワ王が来日以来,両国の交渉が進展し明治17年(1884)に日本移民の渡航が許可された.日本郵船は山城丸によるわが国最初の官約ハワイ移民輸送以降合計24回実施した.
1885-12-15 (明18) 第1船山城丸ハワイ着[船]山城丸
1890-06-17 (明23) 相模丸ハワイ着[船]相模丸
相模丸 Sagami Maru (1884)

No. 船名 総トン数 進水年 船主
1 山城丸 Yamashiro Maru 2,528 1884(明17) 日本郵船会社
2 近江丸 Omi Maru 2,473
3 三池丸 Miike Maru 3,308 1888(明21)
4 相模丸 Sagami Maru 1,885 1884(明17)
5 高砂丸 Takasago Maru 1,230 1860(安7)
6 和歌浦丸 Wakaura Maru 2,197 1853(嘉5)

ハワイ着船名移民数ハワイ着船名移民数ハワイ着船名移民数ハワイ着船名移民数
1885(明18).12.15山城丸9881889(明22).10. 1山城丸9971891(明24). 3.11山城丸1,0931892(明25). 6.21山城丸1,075
1887(明20).12.11和歌浦丸1,4471889(明22). 1.21山城丸1,0501891(明24). 3.30近江丸1,0811892(明25).11.28山城丸957
1888(明21). 6. 1高砂丸1,0631890(明23). 1. 9山城丸1,0641891(明24). 4.28山城丸1,0911893(明26). 3. 6三池丸728
1888(明21).11.14高砂丸1,0811890(明23). 4. 2山城丸1,0711891(明24). 5.29山城丸1,4391893(明26). 6.19三池丸1,729
1888(明21).12.26高砂丸1,1431890(明23). 5.22山城丸1,0681891(明24). 6.18三池丸1,0731893(明26).10.23三池丸1,606
1889(明22). 3. 3近江丸9571890(明23). 6.17相模丸5961892(明25). 1. 9山城丸1,0931894(明27). 6.28三池丸1,541

印度方面

孟買航路 日本郵船会社 明26.11.7(1893)開設横濱孟買線-神戸孟買線大正期-昭和初期
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わが国の紡績業は明治政府の殖産興業政策により急速に発達し,その原料である綿花を廉価な海外綿花に求めた.調査の結果,印度綿花が優良であることが分かったが当時の日本/印度間の航路は英国のP & O Line他2社(*1)の同盟が独占しており運賃も割高であった. 明治26年(1893)に来日したボンベイ(孟買)の綿花豪商タタ(J. G.N. Tata)は日本郵船社長森岡昌純,澁澤榮一,淺野總一郎らに会見して日本/孟買間の航路開設の必要性を力説した.日本郵船は積荷保証が得られることを確認したうえでタタ商会と各1隻を提供して6週1回の定期航路の開設を決定した. 明治26年(1893)11月7日,第1船廣島丸がボンベイ向けに神戸を出航し,これがわが国最初の遠洋定期航路開設となった(*2)(*3).同盟側は運賃の値下げ等で対抗したが,日本郵船は国内では日本紡績連合会,海外ではタタ商会と連携して多大の損害を被りながらも航路の維持に努め,タタ商会撤退後は日本郵船が汽船2隻を補充して3週1回の定期を維持した. そして明治28年(1895)11月に至りP & O Lineは英国外務省を通じて仲裁を申し入れ日本郵船は計画中の欧州航路開設も考慮したうえで,明治29年(1896)5月に同盟側と運賃合同計算契約を締結した.
1893-10-28 (明26) 第1回印綿運送契約締結
1893-11-07 (明26) 孟買向け第1船廣島丸が神戸を出航[港]{往航}神戸/下關/香港/シンガポール(新嘉坡)/コロンボ(古倫母)/ボンベイ(孟買){復航}ボンベイ(孟買)/コロンボ(古倫母)/シンガポール(新嘉坡)香港/上海/下關/(横濱) 注:チュチコリン,ペナン(彼南)臨時寄港[航]3週1回[船]廣島丸,他3隻(両社各2隻)
1895-02 (明28) タタ商会撤退.日本郵船は汽船2隻を増配して3週1回の定期を維持,上海寄港を中止して上海浦鹽斯徳線を香港迄延長して本線と接続
📌参考:
(*1)当時の日本インド間航路の海外船社
 ・P&O汽船会社(Peninsular & Oriental S.N.Co.)
 ・墺国ロイド(Austrian Lloyd→Lloyd Triestino)
 ・伊国郵船(Navigazione Generale Italiana)
(*2)遠洋航路での最初であり,近海航路では明治8年(1875)2月3日に日本郵船の前身,
三菱商会が横濱/上海間に開設したのが最初の海外定期航路である.
(*3)当時の船長は七十年史(日本郵船- 昭31)によるとJ. B. マクミランであった.
日本郵船株式会社百年史(同 - 昭63)にはG. B. マクミラン とある.

臨時配船地域

日清戦争中の臨時配船 日本郵船会社 明27(1894)-明28(1895)
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日清戦争期間中に臨時船を配船した地域
・ハワイ(1隻)
・濠州(2隻)
・西印度グアドループ島(1隻)
・シンガポール(1隻)
・ジャワ(1隻)
・フィジー(1隻)

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