- 昭和27年(1952)ブラジル政府は中部ブラジル地区にも入植を許可したので日本政府は移民行政機関の整備を急ぎ,大阪商船に対しても移住者輸送の復活を強く要望した.同年さんとす丸を建造して西航南米線に配船したが昭和28年(1953)4月,日本アルゼンチン通商協定締結に伴う荷動きが活況を呈し,また南米移住者の本格的輸送をはかるため東航南米線を再開し,さんとす丸を第1船としてパナマ経由南米に差し立てた.
大阪商船には南米航路における移住者輸送の歴史があり,ブラジル政府も移民受入に積極的であったために同社はRoyal Interocean Lineと協定を結び,貨客船さんとす丸の旅客設備増設,あめりか丸型貨物船の移民船への改装を順次実施して移民船船隊の拡充に努めた.
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| 1953-04-13 |
(昭28) |
あめりか丸,移民船に工事着手
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| 1953-05 |
(昭28) |
東航南米線再開.第1船さんとす丸パナマ経由南米に差し立て[船]さんとす丸
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| 1953-07 |
(昭28) |
あふりか丸,移民船に改装後就航[港]{往航}神戸/名古屋/横浜/ロサンゼルス/クリストバル/カルタヘナ/キュラソー/ラガイラ/ベレン/リオデジャネイロ/サントス/モンテビデオ/ブエノスアイレス{復航}サントス/リオデジャネイロ/イレウス/キュラソー/クリストバル/ロサンゼルス/横浜/名古屋/四日市/大阪/神戸[航]年12回[船]あふりか丸,さんとす丸,あめりか丸,北海丸(用),月光丸(用)
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| 1954-07-30 |
(昭29) |
戦後初の新造移民船ぶらじる丸就航.東航南米線が再開されると大阪商船は同航路へ本格的な移民船の投入を計画していたが,外務省の積極策により移民船建造が具体化し,第9次後期計画造船による戦後初の移民船ぶらじる丸が昭和29年(1954)に就航した.本船は10,100総トン,ディーゼル主機を搭載し最大速力は20.3ノット,旅客設備は1等12名,2等68名,3等902名の貨客船で同年7月30日神戸港を出航し南米への処女航海の途についた[船]ぶらじる丸,さんとす丸,あふりか丸,あめりか丸
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| 1954 |
(昭29) |
往航レシーフェ,復航リオグランデに定期寄港
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| 1958-04 |
(昭33) |
ぶらじる丸よりやや大型のあるぜんちな丸が就航し合計5隻の移民船によるマンスリー・サービスが実現した.しかし乗船移住者は昭和34年度の6793名をピークとして以降激減し,船価高からくる資本費の負担が経営の重圧となった.運輸省から移民船5隻を分離し,新会社へ譲渡して経理内容を改善するよう勧告があったため昭和38年(1963)に資本金1億円で日本移住船株式会社が設立された.[船]あるぜんちな丸,ぶらじる丸,さんとす丸,あふりか丸,あめりか丸
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