日本の船会社
2004.12.19 |
日本の船会社・大同海運を掲載
もんぶらん丸 Mont Blanc Maru
大同海運が建造した47,000D/W級の大型油槽船えべれすと丸型の第2船として昭和35年に三菱長崎造船所で完工した.竣工時はわが国で最大級の油槽船.以後,大同海運ではジャパンラインが発足するまでに油槽船は建造されていない.
写真はジャパンラインに移籍後の姿. |
漁獲物運搬船を掲載開始
2004.11.28 |
| 船種別 漁船 漁獲物運搬船に冷蔵運搬船を掲載 |
ひむろ組の冷蔵運搬船榛名丸 Haruna Maru
神戸に拠点を置く(合)ひむろ組が大正12年に横濱船渠で建造した冷蔵運搬船.この船種のパイオニアである葛原冷蔵の滿光丸と同型.ひむろ組は葛原冷蔵と朝鮮近海の鮮魚の買付に激しい競争を展開したが両社とも数年で経営に行き詰まって解散,船隊は後に日魯漁業に引き継がれた. |
鉄道連絡航路を掲載開始
2004.10.30 |

大正期 国内航路 鉄道連絡航路
靑函航路を掲載
大正13年5月に鐵道省の靑函航路(靑森/函館)に就航した翔鳳丸Shoho Maruはわが国初の客載車輌渡船であった.
出航を待つ青函連絡船摩周丸 Mashu Maru
1979.8.25 青森港 |
戦後占領期
北米航路 大阪商船 2004.9.20 |

戦後占領期 北米航路 大阪商船を更新
大阪商船三井船舶の貨物船さくらめんと丸 Sacramento Maru(10,512G/T 1967年)の船橋から小雨の降る山下ふ頭を望む.
1976.4.3 横浜港 |
第一中央汽船関係
2004.9.12 |

會陽汽船,中央汽船,第一汽船,第一中央汽船の船歴を更新
中央汽船の中央丸 Chuo Maru (初代)
第5次計画造船により名古屋造船で建造された. |
大正期 不定期航路
南洋方面 2004.9.5 |
| 南洋貿易の内地/南洋群島航路を追加 |

八馬永蔵が明治後期に輸入した第八多聞丸 Tamon Maru No.8 (初代).大正4年以降,南洋貿易株式会社に用船されて内地/南洋群島間に就航した.八馬汽船の社史によると本船の船首にあった女神像が大正15年に藤永田造船所で入渠の際に陸揚げ後,補修され八馬汽船に保存されている(昭和53年現在). |
昭和初期 近海航路
2004.8.28 |
川崎汽船の樺太航路を更新
処女航海で敷香港に入港した川崎汽船の新鋭貨物船菊川丸 Kikukawa Maru (1937)
川崎造船所が昭和11年に建造した山本商事の春幸丸に続く一連の川崎製タービン主機搭載の貨物船.
大阪/敷香航路は昭和2年に樺太庁命令航路となった川崎汽船の近海主要航路であり,増大する輸送量とスピード化に対処するため耐氷構造の菊川丸型3隻を新造投入した.
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樺太の敷香の地名の起源について北日本汽船の社史には次の解説がある.
「原名シスカ或はシクカ.シシまたはシキは目,カは上又は前,目の前又は目の上の村の意,即ち対岸オタスから見て目の前の村といふことになる.露名チフメネフ或はテレペーエフスキ」 |
船種別・油槽船
2004.7.10 |
油槽船の概説(高速タンカーの整備)を更新
昭和タンカーの高速油槽船日章丸 Nissho Maru (1938) |
大阪商船(国内航路)
2004.5.8 |
大阪商船の国内航路を更新
ひなびた温泉場にすぎなかった別府が大分に隣接した交通の要衝であることに着目し,大阪豐後線として開設したのは当時の大阪商船内航部支配人山岡順太郎であった.「世界の公園瀬戸内海」「天下の楽土別府温泉」という宣伝文句を掲げ多くの乗客を獲得したのである.
「別府名所 海岸砂湯の実況」と題した当時の絵葉書(右)
背景の桟橋には初代の紅丸が見える.大阪豐後線は開設以来,別府温泉への入湯客が増加.これにともない漸次大型新造船が就航した. |
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大阪商船(中国航路,台湾航路)
2004.4.11 |

大阪商船の中国航路(大正期・昭和初期)を掲載開始
大阪商船の台湾航路(昭和初期)を掲載開始
大阪大連線には新造船はるびん丸,ばいかる丸,うらる丸,うすりい丸,吉林丸,熱河丸,黒龍丸,鴨緑丸,神戸基隆線には高千穂丸,高砂丸が続々と就航した.
大連港における大阪商船の貨客船はるびん丸 Harbin Maru
S.Kizu |
海運再建期および海運集約期 2004.3.21 |
海運再建期・北米方面国際ライン,大同海運
海運集約期・川崎汽船一般貨物船丁抹丸型,佛蘭西丸型を掲載開始
大阪商船の貨物船はばな丸の進水記念絵葉書 |
海運集約期 ジャパンライン 2004.3.6 |
ジャパンラインのニュージーランド航路を掲載開始
「丸」がつかない船名で話題になったジャパンラインの新造船は船体のJAPAN LINEの文字とともにその船隊は今なお印象的である.
新船名基準を採用した第1船は昭和40年に日本鋼管清水造船所で建造された木材専用船ジャパン
エルム Japan Elmで,エルムとは楡の木の意味.
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| ジャパン トタラ Japan Totara 1973.8.26 横浜港・本牧ふ頭 |
ジャパン近海株式会社
ジャパン近海株式会社はジャパンライン発足後,昭和39年9月22日に日東近海株式会社を改名した.日東近海は日東商船に吸収合併された大和汽船の小型船運航部門が分離独立した会社である.
第七えるぴい丸 LP Maru No.7
1978.3.13 土佐清水港 |
日本の船会社
2004.2.8 |

日本の船会社(会社概要,所有船舶一覧表)を更新中
石原合名の貨物船ぼすとん丸 Boston Maru (1919)
鈴木商店が淺野造船所で建造したB型貨物船.のちに國際汽船を経て石原合名が取得した. |
サイト移転に伴うURL変更
2003.11.30 |

新しいサイトに移転
ミラフローレス閘門を通過中の商船三井の極東/北米西岸航路コンテナ船 MOL
Expeditor 昨年5月に三菱神戸造船所で進水したばかりの新鋭船.
2003.12.7 パナマ運河 - J.Yamauchi |
船種別 曳船・押船
2003.7.20 |
船種別 曳船・押船掲載開始
押船・曳船兼用船三保丸 Miho Maru
(三井ライン興業/東港サービス裸用船,178G/T)
昭和48年に下田船渠で竣工.新潟鉄工所製の950馬力のディーゼル主機を2基搭載. |
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| 1977.7 清水港 |
日本の船会社,海運集約,海と船の挿話
2003.7.12 - 7.13 |
| 日本の船会社・昭和海運を追加.海運集約・各航路状況・昭和海運・北米航路を掲載開始 |
| 昭和海運・専用船・LNG船,自動車専用船を掲載開始.海と船の挿話に旅客船菫丸の消息を掲載 |

海運集約から5年後の昭和44年にはわが国の商船船腹量は2,400万総トンに達し,リベリアに次ぎ世界第二位の保有量となった.再建整備計画の初年度に当たる昭和39年度の第20次計画造船で各社が建造した船腹量は41隻,121万総トンという大量建造となった.
昭和海運の撒積貨物船昭神丸 Shoshin Maru
香港 - O.Sakai |
| 川崎汽船の紐育航路を追加 |
川崎汽船の大型高速貨物船聖川丸 Kiyokawa Maru
川崎汽船紐育航路用の高速貨物船神川丸型の第2船として昭和12年に完成.社内募集による船名の当選案は清川丸だったが神聖君國の意味に因んで聖川丸と命名された.太平洋戦争末期,昭和20年7月に空爆を受けて任意擱座.同23年に浮揚し翌年修理成って再びニューヨーク航路に返り咲いた.写真は川崎重工業本社工場第3浮ドックに入渠した聖川丸.このドックは昭和28年に完成,浮揚力13,000キロトン.入渠第1船は聖川丸との記録がある.
提供 Y.Masuyama |
海運集約期・各航路状況
2002.4.5 |
| 大阪商船三井船舶・一般貨物船・ぶれーめん丸型(B型)を掲載開始 |
大阪商船三井船舶の欧州航路用超高速ライナーB型・第1船 ぶれーめん丸 Bremen
Maru
本クラスの就航により欧州航路は従来の往航(神戸/ハンブルグ)31日が28日,復航(ロッテルダム/日本)31日が25日に短縮された.
本船の船型は長船首楼および長船尾楼付の凹甲板船型で船首にはバルバスバウを,舵には高速船に適したマリナー型を採用した.また機関部および艙口配置はセミ・アフト型と称される配置が採用された.
1975 横浜港・本牧ふ頭Cバース - F.Hijikata |
海と船の挿話
2002.3.23 |
海と船の挿話に「20次船・かりふおるにあ丸(第一中央汽船)の遭難
」を掲載
かりふおるにあ丸は第一中央汽船が米国西海岸ロングビーチから和歌山へのペレット鉱石輸送用に昭和40年に三菱重工業株式会社横浜造船所で建造した56,000トン級の鉱石専用船.
海難審判庁裁決録(機船かりふおるにあ丸遭難事件)の「沈没状況」には次のように記載されている.
「10日午前1時30分ごろ本船は,左舷傾斜が5度ばかりに復原したので,5番,6番各右舷バラストタンクの張水を中止した.そのころ1番ハッチ左舷上甲板は水面下で,1番,2番両ハッチ間及び2番,3番両ハッチ間から右舷上甲板に海水が流入する状態で,同3時30分オ号が来援したころには,左舷傾斜が10度ばかりに増加し,前傾の状態にはあまり変化がなかったが,同5時ごろ本船は,船首部の沈下が目立ちはじめたのでオ号に早期の救助を依頼した.そのころオ号三等機関士ウイリアム・ジェームス・ボイシイ撮影(カラー)及び甲板員コリン・ジョン・アマス撮影(白黒)の各写真によるといずれもか丸は三番ハッチ付近まで海水につかっており,フォアマストは水面上にあった.オ号救命艇がか丸乗組員22人を救助し,同6時30分ころか丸舷側を離れオ号に帰る途中,同時50分ころか丸は船尾を上にして船首から急速に沈没し,海面には白い水柱が立ちあがった.」
か丸=かりふおるにあ丸,オ号=オーテアロアAotearoa |
朝鮮郵船船舶史・補遺
2001.8.23 |

朝鮮郵船の海州丸 Kaishu Maru
明治40年に進水した 281総トンの鋼製貨客船.旧名第二草薙丸.主機にはニ連成レシプロ機関を搭載. |
気象観測船
2001.2.4 |

日本の気象観測船を掲載開始
気象庁の大型気象観測船凌風丸 Ryofu Maru (2代)
1982.4 東京港 - T.Ueno |
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